都会のビルに囲まれた平将門の首塚の場所と伝承

関東

都会のビルに囲まれた平将門の首塚の場所と伝承

都会のビルに囲まれた平将門の首塚の場所と伝承とは

都会のビル群に囲まれ、ビジネスマンもお詣りをする平将門の首塚は、特別な雰囲気が漂っていると言われます。

悲劇の英雄を悲しみ嘆く人達の心情が「祟り」として伝えられてきたのか、怖い話が残されています。

身を清めるためにもしっかりとお詣りをした方が良さそうです。

討ち死にした平将門

天慶(てんぎょう)三年(940)下総染谷川で討ち死にした平将門の首は武蔵国豊島郡芝崎村の古井戸で洗われ、御手洗池の畔の老樹の陰に葬ったと古い本に書かれていました。

武蔵国豊島郡芝崎村というのは、今の東京都千代田区の将門の首塚がある所です。

将門の塚は関東各地には多いそうですが、これは将門の祟りを恐れ、由緒の品々を分葬したからということです。



時は流れ、首塚を供養する者が絶えると、亡霊の祟りで天変地異が相次いで起きました。

この後に将門を祀った国家鎮守の社の神田明神が建てられました。

神田明神は首塚の所にあったそうです。
江戸城拡張の時に駿河台に移りましたが、その後、湯島台に移転しました。

神田明神

承平5年(935年)に平将門の乱を起こして敗死した平将門の首が京から持ち去られて当社の近くに葬られ、将門の首塚は東国(関東地方)の平氏武将の崇敬を受けた。嘉元年間(14世紀初頭)に疫病が流行し、これが将門の祟りであるとして供養が行われ、延慶2年(1309年)に当社の相殿神とされた。平将門神に祈願すると勝負に勝つといわれる。

出典 http://ja.wikipedia.org

将門の怪奇な伝承

関東大震災や第二次世界大戦のときに首塚や碑が崩れましたが、その都度建て直されています。

関東大震災後、首塚跡地に大蔵省仮庁舎が建てられることになったときの伝承が怖いです。

関東大震災後の跡地に都市再開発として大蔵省の仮庁舎を建てようとした際、工事関係者や省職員、さらには時の大臣・早速整爾の相次ぐ不審死が起こったことで、将門の祟りが省内で噂されることとなり、省内の動揺を抑えるため仮庁舎を取り壊した事件や、第二次世界大戦後にGHQが丸の内周辺の区画整理にとって障害となるこの地を撤去し造成しようとした時、不審な事故が相次いだため、計画を取り止めたという事件。

出典 http://ja.wikipedia.org

飛んだ首

将門の首は京都の四条河原でさらされたのですが、この首がある夜、光を放って東方に飛び、芝原に落ちたという。
村人は首を井戸で洗い、葬って塚を築いたという話も残っています。

1分間でわかる坂東の英雄、平将門

1

関連記事

ピックアップ!

タグ

月別アーカイブ