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斎藤真一と瞽女(ごぜ)の世界と伊豆戸田峠の瞽女観音像

中部

斎藤真一と瞽女(ごぜ)の世界と伊豆戸田峠の瞽女観音像

斎藤真一さんが心惹かれた瞽女(ごぜ)の世界

瞽女(ごぜ)のことを知ったのは、斎藤真一(さいとうしんいち)さんの描かれた作品を観たときです。
結構衝撃的で、貧しい生活の中で物乞うように唄い歩いていて、その生活の中で様々なドラマが繰り広げられていた・・・瞽女(ごぜ)の世界。


斎藤真一さんは洋画家であって作家です。
我が街の高校の先生でもありました。

1961年(昭和36年)に津軽に行き、ねぶた祭りに感動してその時に津軽三味線の音色を聞き、宿の古老に瞽女(ごぜ)のことを聞いたとのこと。
(Wikipedia)それが瞽女(ごぜ)との出会いだったのですね。

ずっと昔のことなのでまったく知らなかったのですが、我が街の図書館の「地元の資料」のコーナーで斎藤真一さんの瞽女(ごぜ)の絵を観たときは、何とも言えない瞽女(ごぜ)の表情に女の宿命というか、悲しさを感じ、複雑な心境になりました。


出典 http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp

瞽女(ごぜ)とは目が不自由で、三味線や歌を唄いながら芸を支えに、村々を歩いていた人たちなのです。
江戸時代から昭和の初め頃までいました。


斎藤真一さんが瞽女に心惹かれたのは、越後の瞽女の津軽三味線の旋律と甲高い調子で唄う姿のようですが、これも一言では語れないほど奥が深いように感じます。
そうでなければ瞽女(ごぜ)を追い続け、描き続けることはできないと思うのです。

斎藤真一さんの描く瞽女(ごぜ)の世界は、盲目の女の一生のはかなさや美しさ、繊細さが描かれているのですが、文章を読んだり、絵を観ていると、瞽女(ごぜ)が必死に生きていく姿に感動を覚えると同時に、なんと自分は生ぬるいんだと思ってしまいます・・・。
時代は違いますが、人の一生の流れは同じだったりしますから。

「ちっちゃなこと気にしている間に時間は過ぎていくよ」

って言いたくなりますね。

左)日本風俗図絵 右)瞽女の着色写真(1912年)Wikipedia

伊豆戸田峠の瞽女(ごぜ)観音像

伊豆でも山では雪が降り、積もってしまいます。
悲しい物語が残っていました。

伊豆の戸田峠越えをしていた瞽女(ごぜ)は、大雪にあって凍えて死んでしまいました。
亡骸を見つけた村人がねんころに葬ってやったと言います。

瞽女(ごぜ)の塚は今もあり、村人は「瞽女観音」を祀ったという。


ここに設置してある看板に寄りますと、盲目の身で厳しい芸を修め、女の歓び哀しみを越えて生きた芸道の祖として芸事が上達すると伝えられ芸能人の信仰が厚いそうです。

フォトコンバイン 無料画像結合ツールです。ぼやけた画像を使うなら他の画像と結合させて仕上げた方が良いと思いますー

[昭和48年11月] 中日ニュース No.1034 2「瞽女 -越後路に哀歌は流れる-」

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