源頼朝が隠れた土肥椙山【しとどの窟(いわや)】

関東

源頼朝が隠れた土肥椙山【しとどの窟(いわや)】

源頼朝が石橋山合戦後に隠れていたしとどの窟(いわや) H29.12.23更新

心霊スポットとして有名?なのかは知りませんが(汗)、神奈川県湯河原町にある「しとどの窟(いわや)」は源頼朝が石橋山の合戦後に隠れていたとされる場所です。

1180年(治承4年)伊豆で挙兵した源頼朝は、平家討滅、源氏再興の兵を挙げ、鎌倉に向かう途中の石橋山での対戦で大苦戦となり、大敗してしまいました。

頼朝は土肥(湯河原町)の椙山に隠れて命拾いしました。

土肥椙山(しとどの窟(いわや))頼朝が隠れていたとされる場所です。

頼朝はこの辺りの地図に詳しい土肥実平(といさねひら)に助けられて無事に真鶴から海上に逃れることができました。

しとどの窟(いわや)伝説

石橋の合戦で敗れて絶対絶命の危機に追い込まれた源頼朝を、真鶴半島の岩浦から房総に向けて脱出させたのは、土肥実平(とひさねひら)やこの土地の人たちでした。

石橋山の合戦のあと、頼朝は命からがら逃れて椙山の密林に侵入し、しとどの窟で数日を過ごしたのです。

頼朝は持ち歩いていた小さな聖観音像を岩の上に安置しました。

自分が捕らえられて際に、源氏の大将軍がこのようなことをしていたのかと悪口を言われたくない。だから取り出して置くのだ。

と語ったという。

覚悟を固めていたのですね。

頼朝に従っていたのは、このときに6人いました。

頼朝を入れて「頼朝7騎」、中心人物は土肥実平で彼らの働きで、頼朝は危機を脱し、鎌倉へと向かいました。

「土肥椙山観音像群」と呼ばれる多くの観音や石碑が並んでいます。
ヒンヤリとした雰囲気は・・・・です(*_*)

黄色の伊東軍というのは、平家方についた伊東祐親(いとうすけちか)が300騎を率いて頼朝の背後に迫ったのです。

伊東祐親というのは「伊東市」の歴史上の人物です。
物見塚公園には伊東祐親公の銅像もあります。

平家の大恩を受けていたのですが、源氏の源頼朝が流刑となり伊豆に流されて来たときに伊東祐親が預かったのです。

伊豆には頼朝伝説がたくさん残されています。

「しとど」の名の由来

「しとど」とはどういう意味なのか調べてみました。
「しとど」とは雨に濡れるさまなので、他の窟などに行っても、雨などで溜まった水がポチャリポチャリと流れているところを見たことがあるので、しとどの窟は水が流れている窟だから「しとどの窟」と言われて来たのだと思いました。

でもそうではないのかも知れません。

「しとど」というのは「小鳥」のことでもありました。
頼朝が洞窟に入ったときにしとどが飛び立ったから名付けられたという説もあります。

アオジ、ホオジロは奈良時代から「しとど」と呼ばれていました。

真鶴町岩海岸

頼朝はここから船で安房(房総半島)に向かったのです。

こちらも真鶴町岩海岸

突き刺さっているような道路は当時は無かったです(^^)

頼朝VS平清盛

頼朝14歳。

平治の乱後、永暦元年(1160年3月)清盛によって伊豆に流されました。

心霊スポット逝ってみた   しとどの窟(しとどのいわや) 神奈川県 湯河原

夜に行ったのですか!(>_<)

湯河原の人気のラーメン屋さん

湯河原駅から徒歩11分(870m)

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