伊東市【木下杢太郎(きのしたもくたろう)】故郷に対する思い

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伊東市【木下杢太郎(きのしたもくたろう)】故郷に対する思い

医学者であり文学者であり芸術家でもあった木下杢太郎

医学者であり、詩、文学、美術など広い分野で活躍され、功績を残されている木下杢太郎(きのしたもくたろう)(太田正雄)は、明治18年8月1日に、呉服や雑貨を扱う商家(米惣)の7人兄弟の末子として生まれました。

木下杢太郎の生家は「静岡県伊東市」にあります。

家では書籍も販売をしていたので、少年期から江戸文化と明治の近代文化を吸収していったということです。

13歳で上京をして、独逸学協会中学校、高校は第一高等学校で、明治の39年に東京帝国大学医学部に入学しました。

何度も書いているのですが、杢太郎が伊豆伊東について書いてある箇所で大好きな文章があるのです。

「伊豆の東海岸は伊太利亜のソレントオやアマルフイイの一帯と景色が好く似ています、・・・
伊東は小生の生まれた所で、もし大地に乳房というものがあるとしたら、小生にとってはまさにそれです。」

故郷と母親と乳房が繋がっているような気がします。

医学者太田正雄
家人は、正雄を医者にすることを考え、中学からドイツ語を教える東京の独逸学協会中学に就学させた。しかし正雄は医者になることをきらい、画家やドイツ文学者になりたいと反抗したが、森鴎外の勧めもあり皮膚科学の道に入ることとなった。

大学卒業後は、南満医学堂、愛知医科大学、東北帝国大学、東京帝国大学教授を歴任した。
主な研究業績は病原性真菌、ハンセン病、皮膚腫瘍などに関するもので、眼上顎部褐青色母斑(太田母斑)は彼が見出した疾病である。また絲状菌の分類研究は国際的にも高く評価され、フランス政府からレジオン・ドヌール勲章を授与されている。
-パンフレットより引用ー

出典 http://

木下杢太郎記念館

明治40年の建築物で外観は土蔵造りになまこ壁を配してあるものです。
中に入り展示室の奥の方に進むと杢太郎の生家が残されています。

木下杢太郎記念館

天保6年(1835年)に建てられた生家

初代太田惣五郎が1835(天保6)年、米屋を始め屋号を米惣としました。
外観は1907(明治40)年に改造されました。

木下杢太郎記念館生家

市指定文化財です

木下杢太郎記念館生家

杢太郎が誕生した間

木下杢太郎記念館生家

百花譜

杢太郎は芸術面でも優れていて、昭和18年3月から、死の直前まで(昭和20年7月)一連の植物画を描き続けた。収められた画像は872枚!


「やまゆり」は死の病床でスケッチしたもので、百花譜最後の一枚ということです。

やまゆりもそうですが、杢太郎が描いた植物たちはあまり目立たないけれど、しっかりとその存在をアピールしている道端の雑草の花が多いのです。
誰も見向きもしない雑草の花に暖かい眼を向けている。

木下杢太郎 百花譜 やまゆり

木下杢太郎記念館 - 地域情報動画サイト 街ログ

アクセス

木下杢太郎記念館
開館時間 AM9:00~PM4:30(4月~9月)
     AM9:00~PM4:00(10月~3月)
休館日 月曜日(休日の場合は翌日)・12月28日~1月4日

入館料 大人100円 中学生以下50円
    20人以上団体割引有。大人80円 中学生以下30円


※安い入館料なので、是非寄ってください!

伊東市も参加しています!

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